醸造所

ア・シュフ醸造所

醸造所Achouffe Brewery
所在地Rue du Village 32, 6666 Achouffe, Belgium, Belgium
サイトhttps://chouffe.com/en/brewery-achouffe/

49リットルから

アシュフ醸造所

アシュフ(Achouffe)醸造所は、いつか自分達のスペシャル・ビールを醸造するのだと夢見る二人の素晴らしいベルギー人によって、1982年に「趣味の醸造所」としてスタートしました。同年8月27日に最初のビールが誕生しましたが、それはわずか49リットルに過ぎませんでした。1986年には、1805年に建てられたという古い農家を買い取り、そこで小さなアシュフ醸造所を設立しました。生産数量は次第に増えて、わずか2年後の1988年には最初の輸出まで実現しました。それはカナダのケベック州向けで、今なおアシュフの主要輸出市場のひとつとなっています。

7,000HLに

同醸造所ではそこでアシュフビールが愉しめる自営のカフェーレストランを1990年に開きました。現在では、一日当たり7,000Lの生産能力を持つ醸造ラインを約2~3回転するまでに至っています。 

2006年9月、アシュフ醸造所の経営はデュベル・モルトガット社に引き継がれました。

アシュフ醸造所

アシュフ醸造所

ヴェルハーゲ醸造所

ヴェルハーゲ・ロゴ1
醸造所Verhaeghe
所在地Sint-Dierikserf 1, 8570 Vichte, Belgium
サイトhttp://www.brouwerijverhaeghe.be/
ブランドドゥシャス・デ・ブルゴーニュ etc.

醸造所の立ち上げ

醸造所と製麦所がアドルフ・ヴェルハーゲ(Adolf Verhaeghe、1851-1918)とポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe、1860-1936)の腹違いの兄弟によって1892年に始まりました。醸造所の立ち上がり時期にポールは、義理の兄弟であるフレデリック・ヴァンデルハーゲ(Frederic Vanderhaeghe、1844-1923)にも手助けを求めます。フレデリックはゲント出身の醸造技術者一家の息子でした。

醸造所や製麦所は完全な石造りで、アドルフの石工所から石が使われていました。醸造所周辺の家々の建築にもこれらの石が使用され、それらの家はブリューパブとしても貸し出されていました。ビール造りに使用する小麦は周辺の農地から持ち込まれていましたが、その農地もまたヴェルハーゲ家が所有していたのです。

当然ながら、最初の内は客層の殆どが近辺に住んでいる農家の家族でしたが、後に首都ブリュッセルへの鉄道線路の近くに建っていたという好立地が、この醸造所の発展にきわめて重要な要素となり、客層の地盤が醸造所近辺の枠を越えて拡がっていくことになりました。

戦争の影響

第一次世界大戦の勃発が、醸造所の発展に突然ストップをかけることになります。醸造所は、ポールがドイツ軍へのビール醸造を断った後、ドイツ占領軍によって完全に取り壊されてしまいました。戦争の弾薬製造材料として銅製品を再利用する目的から、他の醸造所の醸造設備もドイツ軍によって持ち去られました。

1937年には、レオンとヴィクター・ ヴェルハーゲ(Leon & Victor Verhaeghe)が、醸造・製麦ビジネスを再開しました。ところが、第二次世界大戦の勃発によって二度目の災難に見舞われます。麦芽の慢性的な不足から、醸造所はアルコール度数0.8%といったような非常に軽い、いわゆる「ゼロ・ハチ」(zero-huit)と呼ばれたビールしか醸造できませんでした。醸造所が所有するパブの多くもまた、すさまじい爆撃によって商売どころではありませんでした。

伝統のレッド・エール

戦後、市場ではピルスナータイプのビールが一層その存在を強めていました。しかしヴェルハーゲ醸造所は、上面発酵ビールにこだわり続けました。1960年代中頃以降から、地方に根ざしているビール、いわゆるベルギーの「クラフト」ビールの味について、人々が再評価しつつありました。この新たな市場の傾向が、西フランダース地方における伝統的な産物である、赤褐色のエールビールの人気向上に貢献し、醸造所の発展を強く後押ししていきました。

現在、醸造所はカール・ヴェルハーゲ(Karl Verhaeghe)と彼の姉妹によって経営されており、年間生産量は6,500HLを超えています。

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デュベル・モルトガット醸造所

醸造所Duvel Moortgat
所在地Breendonkdorp 58, 2870 Puurs-Sint-Amands, Belgium
サイトhttps://www.duvelmoortgat.be/en

1871年 設立

デュベル・モルトガット醸造所

1871年、ステーンフッフェル村(Steenhuffel)の醸造家家族の息子であったヤン-レオナルド・モルトガット(Jan-Leonard Moortgat)が、妻のマリア・デ・ブロック(Maria De Block)と共にデュベル・モルトガット醸造所を設立しました。

20世紀への変革期であった当時のベルギーで、この新しく生まれた醸造所は4,000もある醸造所のうちのひとつにすぎませんでした。スタートは決して順調ではなく、ヤン-レオナルドは初期の何年間かは、沢山の上面発酵ビールの販売を試みたり、先駆者としての仕事をしたり、しました。そしてそれが成功へと変わっていきました。

忍耐力、醸造家としての情熱そして職人気質といったもののお陰で、ヤン-レオナルド・モルトガットは次第に彼の造る上面発酵ビールへの贔屓客層をつかんでゆきました。ブリュッセルに住む中流階級の人達もまた彼のビールを気に入っていて、彼はラーケン(Laken)に貯蔵所を持つことができるようになったのでした。既に130年以上も継続している成功物語は、このようなスタートでした。

悪魔の誕生

世紀の変革期であった頃、ヤン-レオナルドの2人の息子のアルベール(Albert)とビクトール(Victor)が事業に参加してアルベールは醸造技師となり、ビクトールはブリュッセルへの馬と荷車による配送に携わりました。この時期には英国のエールが非常に人気を博しておりましたが、第一次世界大戦(1914~1918)によってこれらの英国エールがベルギーにまでやってくることになったのです。

アルベールは、英国エールに倣って英国風ビールを造って、英国エールビール成功物語の一端となろうと決めたのでした。そこで現地の酵母見本が必要不可欠となり、アルベールは北海を渡って長い旅の末に、待望の酵母見本をついに手に入れることができたのでした。まさにこの同じ株から培養された酵母が今日も使用されているのです。

デュベル-悪魔グラス-3

当初このビールは1918年に終結した第一次世界大戦を記念して「ヴィクトリー・エール」と命名されましたが、その後ヴァン・デ・ワウワー(Van De Wouwer)という近所の靴屋さんが試飲の会で、「このビールはまさに悪魔だ」と表現してその歴史を変えたのです。1923年以降、このビールは(この地方の方言で悪魔を意味する)「Duvel」というブランド名で販売されることになったのです。1923年のデュベル生産は、木箱(クレート容器)でわずか数箱分という、ゆっくりとしたスタートでした。1970年代の初めが大ブレークの時期でした。この旗艦ブランドの成功をたたえて、グループ会社名が「モルトガット」から「デュベル・モルトガット」(Duvel Moortgat)に改名されました。

世界の「デュベル・モルトガット」へ

1950年代以降、モルトガットの第三世代が事業を引き継ぎました。2組の兄弟ペアー即ち、レオンとエミール・モルトガット(Leon and Emile Moortgat)そしてベルトとマルセル・モルトガット(Bert & Marcel Moortgat)です。彼らの指揮のもと、醸造所は技術的にも販売上でも、今までにないより高い水準へとさらに拡大していったのでした。

1960年代後半、デュベルのグラスが初めてチューリップ型グラスになりました。これは330ml瓶1本分が注げるものでした。その当時までこのようなグラスは存在していませんでした。70年代の中頃、デュベル・モルトガットのビールは海外でもその評判を得はじめましたが、その成功はデュベル・ブランドに負うところが大でした。

デュベル・モルトガット醸造所

1999年までに、デュベル・モルトガット醸造所は最も重要なベルギー醸造所グループの一角をなすところまで大きくなっていました。会社の成長を更に促進し事業の継続性を確実なものにするためブリュッセル証券取引所に上場し、2001年にはデュベル・モルトガットは、厳正な製品安全規格が運用されていることを証明するHACCP認証を受けた最初のベルギーの醸造所となりました。

近年ではデュベル・モルトガットは近隣諸国(オランダ、フランス、英国など)での態勢を強化し、輸出事業を世界規模でも著しく進展させています。1990年代初期からデュベルの市場になった日本は、今やデュベルの最重要輸出市場のひとつとなっています。

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ヴァルシュタイナー醸造所

醸造所Warsteiner
所在地Domring 4, 59581 Warstein, Germany
サイトhttp://www.warsteiner.jp/
ブランドヴァルシュタイナー

伝統ある醸造

ヴァルシュタイナー醸造所01

ヴァルシュタイナー醸造所は、1753年にアントニアス・クラーマー(Antonius Cramer)が自宅にて創業したところから始まりました。ドイツのザワーランド地方の中心にある、美しいアルンスベルクの森の小さな街・ヴァルシュタインで、長きにわたる伝統ある醸造が始まりました。

ほとんどのヴァルシュタイナー・ビールがドイツの「ビール純粋令」に沿って造られ、水、麦芽、ホップ、すべての原料はヴァルシュタイナーの高い基準をクリアした高品質なもののみを使用し、ヴァルシュタイナーは高品質のプレミアム・ビールを造り続けてきました。その結果、今では世界60か国で飲まれる、ドイツ屈指のビール醸造所となっています。

250年という長い時間を超えて、クラーマー家による家族経営は続いています。1927年には、醸造所の近くにある「カイザークヴェレ(Kaiserquelle)」という水源を発見します。この水源は、ビールの醸造に適した超軟水と言われており、ヴァルシュタイナーが造るビールの味を向上させました。この上質の軟水が、ヴァルシュタイナー醸造所の成功の一助となったことは、言うまでもないでしょう。

ブランディング

ヴァルシュタイナーグラス

1969年、ヴァルシュタイナーはヘルマン・ホフマン氏デザインのグラス「チューリップ」を取り入れました。ドイツビール業界においては革命的なデザインであり、ヴァルシュタイナービールのプレミアム品質を象徴するエレガントなグラスです。その後もこの「チューリップ」を使って、アンディー・ウォーホールなど数々の著名デザイナーとのコラボレーションを通じ、デザイン性の追求という醸造所の理念を継承してきました。

また、ゴルフ大会やサッカーチーム、音楽フェスなどのスポンサーとなり、ドイツ国内での人気を確固たるものにしてきました。ドイツの航空会社であるルフトハンザでは、ヴァルシュタイナーが機内で提供されていたこともあり、まさしく「プレミアム」なビールであることを証明してきたのです。

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リーフマンス醸造所

醸造所Liefmans
所在地Aalststraat 200, 9700 Oudenaarde, Belgium
サイトhttp://www.liefmans.jp/ja
ブランドリーフマンス

チェリー・ビールへの飽くなき追及

リーフマンスの歴史は、1679年、ヤコブ・リーフマンス氏がアウデナールデに醸造所を創業したことで始まりました。現存するリーフマンス醸造所は、ベルギー最古の醸造所のひとつです。
リーフマンスがブラックチェリーを発酵タンクに詰め始めたのは、1900年頃のことでした。地元の農家が、余ったブラックチェリーをビールと交換しにやって来たのです。以来このチェリービールの色と味わいは、長い年月をかけ進化し続けています。

リーフマンス×チェリー

醸造マスターは、ビールが持つ独自の味わいを保つために、日々、目を光らせています。 製品の品質管理に努力と時間を惜しまず、僅かな味の変化にも妥協しない。それが職人としての技の見せ所であり、彼らが最もワクワクする瞬間なのです。「どのビール樽にも個性があり、それをうまくブレンドして製品にするのが我々の仕事」。こう語るのは、醸造所の醸造マスター、マーク・コーセンス氏です。「優れた醸造マスターは経験豊かで、味のセンスが良く、製品を知り尽くしているものだ」。リーフマンスは、職人たちの知恵と技術の結晶なのです。

オリジナリティー、エレガンス、品質の代名詞とも呼べる、リーフマンス。ベルギー初の女性醸造マスター、ローサ・メークス女史は40年以上も醸造の指揮を執り、 そのユニークな味わいを高めるために才能を発揮しています。 彼女の厳しく妥協を許さない姿勢は、従来のベルギービールから一線を画す新たなチェリー・ビールを生み出し、リーフマンスの歴史を大きく変えました。ペーパーラッピング包装を導入したのも、リーフマンスが初めてです。こうしたローサの功績を称え、すべてのリーフマンスのラベルには彼女のサインが記されています。ローサは今も醸造マスターとともに、リーフマンスの品質に目を光らせています。

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