醸造所

ア・シュフ醸造所

ヴェルハーゲ・ロゴ1
醸造所Verhaeghe
所在地Sint-Dierikserf 1, 8570 Vichte, Belgium
サイトhttp://www.brouwerijverhaeghe.be/
ブランドドゥシャス・デ・ブルゴーニュ etc.

醸造所の立ち上げ

醸造所と製麦所がアドルフ・ヴェルハーゲ(Adolf Verhaeghe、1851-1918)とポール・ヴェルハーゲ(Paul Verhaeghe、1860-1936)の腹違いの兄弟によって1892年に始まりました。醸造所の立ち上がり時期にポールは、義理の兄弟であるフレデリック・ヴァンデルハーゲ(Frederic Vanderhaeghe、1844-1923)にも手助けを求めます。フレデリックはゲント出身の醸造技術者一家の息子でした。

醸造所や製麦所は完全な石造りで、アドルフの石工所から石が使われていました。醸造所周辺の家々の建築にもこれらの石が使用され、それらの家はブリューパブとしても貸し出されていました。ビール造りに使用する小麦は周辺の農地から持ち込まれていましたが、その農地もまたヴェルハーゲ家が所有していたのです。

当然ながら、最初の内は客層の殆どが近辺に住んでいる農家の家族でしたが、後に首都ブリュッセルへの鉄道線路の近くに建っていたという好立地が、この醸造所の発展にきわめて重要な要素となり、客層の地盤が醸造所近辺の枠を越えて拡がっていくことになりました。

戦争の影響

第一次世界大戦の勃発が、醸造所の発展に突然ストップをかけることになります。醸造所は、ポールがドイツ軍へのビール醸造を断った後、ドイツ占領軍によって完全に取り壊されてしまいました。戦争の弾薬製造材料として銅製品を再利用する目的から、他の醸造所の醸造設備もドイツ軍によって持ち去られました。

1937年には、レオンとヴィクター・ ヴェルハーゲ(Leon & Victor Verhaeghe)が、醸造・製麦ビジネスを再開しました。ところが、第二次世界大戦の勃発によって二度目の災難に見舞われます。麦芽の慢性的な不足から、醸造所はアルコール度数0.8%といったような非常に軽い、いわゆる「ゼロ・ハチ」(zero-huit)と呼ばれたビールしか醸造できませんでした。醸造所が所有するパブの多くもまた、すさまじい爆撃によって商売どころではありませんでした。

伝統のレッド・エール

戦後、市場ではピルスナータイプのビールが一層その存在を強めていました。しかしヴェルハーゲ醸造所は、上面発酵ビールにこだわり続けました。1960年代中頃以降から、地方に根ざしているビール、いわゆるベルギーの「クラフト」ビールの味について、人々が再評価しつつありました。この新たな市場の傾向が、西フランダース地方における伝統的な産物である、赤褐色のエールビールの人気向上に貢献し、醸造所の発展を強く後押ししていきました。

現在、醸造所はカール・ヴェルハーゲ(Karl Verhaeghe)と彼の姉妹によって経営されており、年間生産量は6,500HLを超えています。

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